東京で車を持つことから考える
今週は単身赴任先から東京に戻っています。子供らの習い事や、幼稚園のイベントのために、都内の数キロの圏内の、あちらこちらを車で回っています。
東京で高いなぁと思うのが、各地の駐車場。都心部だと、15分400円、とか、30分600円、とかあります。つとにここ数年高くなったように思います。
今日も、チビと公園で遊ぶために、45分で400円。幼稚園の展示会で600円、塾の初回で付き添いにきて、待ってる間1200円、です。
東京なんだから、今日付き添いだけなら、電車でくればよかったと。
と、なると、東京で車をもつためには、
①車を買うことができる余裕
②車の維持費、運用コスト(ガス代、駐車場代)を払う余裕
が必要になります。
①は、まぁ、値段が表に出てくるので◎×がはっきりしますが、②はいざ持ってみてからしか分からんので、怖いですね。
よって、正直、少々のお金のことなんて気にしないわ、という人以外持つ必要のないものとなります。
人口の一割が暮らす東京がこんな調子で、東京への人口流入が続く状態から考えると、自動車産業は暗いなぁ、というかんじになります。
ただ、その割にはシェアリングが広がらないな、という感じがあります。
上記の①、②をシェアリングするのでリーズナブルではあるのですが、車を持ってない人にとっての②のコストがそんなかかると思われてないので、割高に見えているのかもしれません。
と、すると日本はどこまでいってももう自動車文化が花開くことがなくなってきているのかもしれません。
なにやら、寂しい限りですね。
【1974年生まれ】松井秀喜さん
小生の同級生にあたる人々について
まずは、この人を取り上げないと。
松井さん。
伝説の敬遠も、NYでの活躍も。
そしてAV好きも。
すべてがわが世代のKINGであることは間違いないですね。
不動心を読んでも、ほんまに同い年かなとも思った。
巨人は嫌いだったし、長嶋監督のころの松井はあまり好きではなかったけれど、巨人後期のどしっとした松井は好きだったね。動じないというか。
ヤンキースの松井はもっと好きだったね。
ただやっぱり、アメリカだなぁと思ったのは松井も引退前には何球団かを渡り歩いたこと。そんなもんなんだねぇ。
引退後の、なんとも言えないポジションをとっているのも、せこいとみるか、うらやましいとみるか、さすがと思うか。
高校野球のお兄さんが自分と同い年の選手がでるようになり、その現役時代をみていた人でNO1になった人がすでに引退していることだけでも自分が齢をとったことを意味し、自分がマネジメント側でなく、担当(現役選手)をやっているところをさみしさを感じるのだが、どこまで行っても彼の存在と戦わないといけない、74年生まれ世代だと思う。どんな職種・業種であろうとも。
松井さんにあったときに、「ため、ですね」と言って、「飲みましょうよ」、と卑屈にならずにいえるように、頑張らなあかんね、と思うわけです。
食雄記 ~氷箱里【「浜松とっても上等なディナー」より】~
小生、浜松にて暮らしております。
浜松でそれなりに飲み食いをしてまいりましたが、なかなか「これ」というお店に出会えておりません。
これというお店にであえるまでの、漫遊記→食遊記、とでもしようかと思ったのですが、バク食いも嫌いではないので、あえて遊を雄にしてみました。
記念すべき、第一回は、浜松市中区板屋町にある「氷箱里」(ピンシャーリー)です。
浜松のとても「おされ飯本;『浜松とっても上等なディナー』」にも掲載されてます。
おされ飯本によると「由緒正しき国家一級点心師に導かれる晩餐」だそうです。
これを写し書きながら思ったのですが、中国の国家資格ってどこまでなんでしょうねぇ。ま、技術そのものは食べればわかるのですが。
料理はおいしいです。掛け値なしに。直近は17年1月末に行きました。
ニラまんじゅう、最高です。
油淋鶏も旨いです。空心菜炒め、旨いです。
何を喰っても旨いです。食い物は何を食っても満足します。
https://tabelog.com/shizuoka/A2202/A220201/22002105/
ダウンライトのなか雰囲気もいいです。テーブルまでのアプローチも、いい感じで、中国風隠れ家的です。次々と二人組(男&オンナ、女子&女子)
浜松であることを忘れます。
たーだーし、この店は、シチュエーションを選んできます。
①値段の割に量が少ない。→お二人様デートにはいいのでしょう。が、中華だと思ってグループでワイガヤでいくには量がすくないです。
②食べるものも飲むものも出てくるのが遅い。フロア、案外広いです。大箱の割には、店長ぽい人と、女子2,3人でフロアをやっています。料理、丁寧に作ってます。アラカルトではなく、ちゃんとコース予約をしろ、ということなのかも知れません。
③ビール・炭酸系の泡が弱い・・・これはセンスの問題か、炭酸ガスの調節のせいか。
よって、以下のような人以外の人にお勧めします。
①腹が減っている人
②酒を飲みたい人
③大人数で勢いのある宴会を為たい人
④安く済ませたい人
間違っても、サラリーマンが3人、4人組で、会社の人事話や噂話、仕事のウサを晴らすような話をする為に言ってはだめです。
41歳、妻子持ちが行けるのは、不労所得があったときにでも女子数名を連れて、おっさんとして、「オー好きなモノを食べていいぞー」(by自営業のハゲ社長風)の時ですね。
あ、量が少ないから、今度一人でゆらりとビールを飲みにでもいってみようかな。
ともかく、シチュエーションに選ばれる店であることに間違いはありません。
味:4
雰囲気:4
コスト:3
総合:3.5
ということで。また何かを喰いにいこう。
今年の目標の振り返り(1月)
今年の目標の振り返り(1月)
時がたつのが早いですね。もう2017年も1か月終わりました。
なんだかよくわからないままに終わりました。
それでは、毎月の振り返り会議を行います。今年の目標は以下の通りでした。
①体重8kg減
体重は+2Kgの86Kg。あかんね。運動不足ですね。1月は本当に寒くて動く気がしませんでした。
②見た目を、42歳より若くする。
子供にハゲハゲと言われています。髪を短く切りました。こぎれいにするように意識はしています。
③42歳らしく振る舞う。
ちょっと、無邪気に暮らしすぎましたね。もう少し気を付けないと。これから歓送迎会シーズンですから、気をつけねばなりません。
④借金を減らす
借金は少し減らしました。変に残っていたリボ払いを減らしました。
⑤収入を増やす
あ、ここの取り組みは全く進んでいませんね。docomoのプランを少し見直したくらいです。これから確定申告等ありますので、取り戻せるものは取り戻します。
⑥仕事(作業)を減らす
うーん、自動化する自信がなくて、手作業&目検査が増えてしまいました。もう少し自動化やPCの使い方の進化を進めなくてはいけませんね。
⑦自己新記録を3つ達成する。
TOEICは受けました。ゴルフ、Hはなしです(笑)
⑧部屋を綺麗にたもつ
物を減らすようにしてはいるのですが、ゴミがよく出ますね。ちょっとずつ減らしてはいるのですが。本棚を買って整理してます。これは進んでいます。
⑨行ったことのない地を目指す
これもできていませんね。行きたかった店、御前崎にいくたびに満員で断念していた「みはる」に行くことはできました。
⑩このサイトを毎日更新する
これができていないのが一番いかんですね。
1月の自己評価点数。40点。だめじゃん。
まずは合格といえるレベルから。
パソコンを買いました(その3)
車は買い替えてませんが、パソコンは買い替える私め。
今回、買い増しをするキッカケは、パソコンやコンピューター自体を学び直してみよう、というところからでした。
ひとつめは、最近やたら、AIや自動化、FINTECと言った言葉が、あたかもブームのようになっています。ただ残念ながら、なにか浮ついた感を直感的に感じていることから、もう少し深く付き合いたいと思ったことから始まります。
勤務先でも、iPadが配られているのですが、イマイチ何だか、つかみ切れていない感覚があります。
よって、常に身につけながら、もう少し活用するためには、どのマシーンがいいだろうと考えてきました。
そこにMacbookのリニューアルです。実はMacbookにする気でいました。iOSにどっぷり身を置くのも良かろうと思っていたのです。
でも結局いろんなメンテナンスコストがwin系とiOSの二重になることがネックに思えました。どっかでどちらかになると思うのですが。少なくとも今の会社にいて自分の仕事の中心をその会社の業務に置く以上、iOS化は無駄が多いという結論に至りました。我が上司がiPadproでお悩みなのも判断に影響を与えました。
もともと、日本の大手家電メーカーのパソコンを買うつもりは一ミリもなかったのですが、最近はパソコン自体がなかなか選べないのですね。少し前はスペックだけでなく、デザインももう少し特徴的なものもあったかとおもいます。
Let's noteは大手家電メーカーですが、選択肢に入れようかとも思いましたが、レクサス感がありますね。速攻却下となりました。
acerやASUSなどもそこそこ魅力的なのが出ているのですが、一時期の圧倒的な安さがありません。円安のせいでしょうか。
軽さを求めるとどこも結構良い値段になります。
で、年末年始のバーゲン的キャンペーンを渡り歩いた末、これだ、と思ったのが、
HP EliteBook Folio G1/CT Notebook PC 超軽量970グラム。圧倒的に頑丈な、プレミアムモバイルPCキャンペーン
です。
軽さ、薄さ、頑丈そう、を満たし、お値段が、10万円切り。officeが2007のままの、タワー君に分け合うつもりでofficeを買っても13万円。
うん、これにしよう、と結構一目惚れ。買っちゃいました。
そんなことを、会社で言ってると、プレインストールモデルでないと、やっぱり不安みたいなことを言う周りの方々。やっぱりそんなもんなんですかね。
さて、そんなわけで、マシーンは案外早くやってきました。DELLだと即納モデルを選ばないと、中国を出ました的な配送状況がでるのですが、そういうこともなく、先週の土曜日に注文して、この土曜日につきました。実際はどこから発送してるか知りませんが、江東区大島二丁目が発送主住所になっているのは、なんだか親近感があります。
まだ、なーんも、出来ない状態にあります。
当面、この子の整備で時間を喰われることでしょう。実戦配備となれば、また、記録することとします。
パソコンを買いました(その2)
パソコンを買ったので、これまでのパソコン遍歴を。おぎやはぎの愛車遍歴と同じのりです。
さて、実家に帰ってきてまずやったのは、家に光ファイバー回線を引きました。いまでこそ、当たり前の世の中になりましたが、当時はまだ家庭用に光ファイバーをひくなんてのは?な世界でした。この直後にYahoo! BBがADSLモデムを配りまくる世の中がくる、そんな位の時です。そんな世の中でしたが、関西は、関西電力がk-optコムという子会社で格安光ファイバーを展開してました。我が実家のある町内はまだ誰も光ファイバーを引いておらず、2キロくらい先の幹線通りまでしか来ていなかったので、我が家に到着するのに、かれこれ、2ヶ月くらいかかりましたが、我が家の為だけにゆっくり引いてくれたのを思い出します。
さて、時同じくして、デスクトップ型のパソコンを買い換えます。VAIOのデスクトップです。これは、画面タッチができて作画等もできてソニーらしく、音楽も、なんていう代物でした。見た目もこじゃれていましたがいかんせん、そこまで使いこなせなったようにおもいます。これは、長らく母親のマシーンとして実家に鎮座していたようにおもいます。
このころは、仕事はテキトーだけど数字はまあまあ、毎日飲み会、という生活をしてました。このまま、独身かなぁ、なんていうことも思い出していたので、マンションを買ったのがこの頃。マンション用にノート型を買いました。それが、DELLのinspirion。メモリもハードも結構よくして、まぁまぁ、のお値段でした。こいつはこのあと、婿入り道具になります。
ここで東京に転勤します。本社でお仕事をすることになります。家でお仕事することも多くなり、ノートよりも、ということで、DELLのタワー型を買いました。これは長らく使うことになります。
で、大学院にいくようになり、課題を空き時間や出張先デこなすようになり、軽いノートが欲しくなります。そして、またまた、VAIOノートです(笑)ところが、こいつは、カッコはよかったのですが、OSがVistaという世にもイケてないOSだったので、大学院卒業と共に手放します。
この頃、奥様用にacerのモバイルノートを買いました。いまでも、家の中で、wifiがおかしくなったりという時にルーターに直接つないでみたり、とか、スーパーサブの役割を十二分に発揮してくれてます。
そのあと、暫くパソコンを持ち運びし仕事をする、ということをやりませんでした。むしろ、自宅のタワーに画面を2つ繋ぐなど家パソコン仕様は進化していきました。
しかし、過労により、ちょっと仕事をセーブするようになりまして、このタワー君もそのまま、暫く使い続けました。
転属することになり、またまた本社部門。タワー君はだいぶくたびれてきました。家を買ったばかりでお金もなく、でもタワー君はフウフウ言い出してます。そこで、アキバを色々歩いてみて、ソフマップ自社製のバーガーコンピューターを買いました。恐る恐るで、安物買いの何とやらになる可能性も高かったのですが、今のところなんの問題もおこってません。
その後、単身赴任をする際に、奥様に家においていくパソコンを一台と言われ、hpのエントリーモデルを一台買いました。奥様用の軽自動車みたいですが、幼稚園の役員仕事をやるには十分みたいです。
(続く)
パソコンを買いました(その1)
二年ぶりくらいに、パソコンを買い増した。
では、パソコン遍歴を語ります。
初代は、、、mac performaでした。ともかくパソコンを買ってみろ、という、強引な友達たちに背中を押されてかったものです。まだ、フロッピーディスクでソフトを入れたりするのですが、時間のかかることかかること。また、すぐにフリーズするなど、大変なものでした。インターネットが走り始めたのもこの頃。私は京都出身だったので、京都市がやり出していたプロバイダー利用してました。当時はまだ64kモデムでしたが、当時つなぎ放題で月3000円程度だったのは、凄いことでした。このマシーンはその後、大学卒業まで使っていましたが、最後どのようにしたのかが、全く記憶にありません。
次は会社に入って、しばらくは自前のパソコンを持っていませんでしたが、やはり仕事を寮に持ち帰るようになり、いちいち鍵のかかっていたパソコンを取り外すのが面倒で、寮にもあればなぁ、と思ったことから、winマシーンを手に入れよう、そうだ、作って貰おう!と思い、大学院に進学していた友人に作って貰いました。このマシーンはスペックは高くて大学にあるソフト類を沢山つんでいたので(笑)、とてもよかったのですが、如何せん場所をとっていました。まだブラウン管のモニターの時期です。
よって、ノート型が欲しくなります。そこに丁度世に出たのがVAIOノートでした。まぁ、ちいちゃくて可愛らしいやつでした。これは、結構長いこと使っていたように思います。
この辺で転勤になり、実家に帰ります。そして、世の中は、Yahoo! BBの時代がやってきます。
(続く)